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ヨーガスートラに隠された秘密

  by Kengo先生

日時:5月21日(水)
19時30分〜21時00分

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第4回目

5月21日(水)

ヨーガスートラに隠された秘密



今回、冒頭で前回の般若心境に関する質問のご回答をいただいております。
以下に質問をまとめておりますのでご参考ください。

① 「viharaty a-cittāvaraṇaḥ」の意味について
サンスクリット語の構文に関するご質問です。
この文は、「viharaty(取り除く・破壊する)」という動詞と、「a-cittāvaraṇaḥ」という目的語からなり、「心の覆い(=煩悩や無明)を取り除く」と理解されることが多いと思います。
ただ、「āvaraṇaḥ」が「覆い」、「citta」が「心」、「a-」が否定の接頭辞であることから、「a-cittāvaraṇaḥ」は直訳的に「覆いのない心」とも読めてしまい、全体で「覆いのない心を破壊する」という不自然な意味にも解釈できてしまいます。この点について、a- の否定のかかり方や文法構造の観点から、Kengo先生のお考えをお聞かせいただけますでしょうか。

② 般若心経における「マントラ」の用法について
受講者の方は、一般的に「マントラは男性神への呪句」、「ダーラニーは女性神への呪句」とされる解説を目にしたことがあるそうです。
その上で、般若心経の中では以下のように「マントラ」という語が用いられている点に疑問を抱かれていました:
mahāvidyāmantro anuttaramantro asamasamamantraḥ
prajñāpāramitāyām ukto mantraḥ
このように般若波羅蜜多に付された呪が「マントラ」とされているのは、性別にかかわらず用いられる一般的な意味での「マントラ」なのでしょうか? それとも、仏教におけるマントラは本来インド的な区別とは異なると捉えるべきなのでしょうか?

③ 「無得(na prāptiḥ)」の意味について
般若心経の一節:
無苦集滅道 無智亦無得(na duḥkha-samudaya-nirodha-mārgā na jñānaṃ na prāptiḥ)
の中で、「無得(na prāptiḥ)」とは具体的に*何を「得ない」*ことを意味しているのか、という点が質問されました。
「得ることがない」とは、たとえば解脱や悟り、智慧といった特定のゴールを否定しているのか、あるいは修行者の執着そのものを否定する趣旨なのか。般若経典における「得」や「不二」の思想とも関係するように感じられるとのことです。


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